ショートヒストリー東洋大学
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「哲学館大学革新事件」この再出願の問題の底流には、円了と講師・校友との間に、大学のあり方をめぐる考え方の相違があった。講師や校友などは、新たに制定された専門学校令という高等教育制度の範囲内で大学の発展を目指すべきであると考え、「哲学館大学は我が国における唯一の哲学専門の学校であり、哲学の研究と普及とをはかり、そのなかで適当な教育者を養成する」ことに重点をおいていた。一方、円了は、哲学館事件後に示したように、「独立自活の精神をもって純然たる私立学校を開設する」という考え方で、建学の精神を失わず、文部省に頼らず、独自の立場から社会への貢献と大学の維持・発展をはかろうというものであった。このような考えから、円了は哲学館大学、京北中学校を位置づけ、さらに哲学館事件後には社会教育としての「修身教会運動」を提起し、また一九〇五(明治三八)年四月には幼児教育の必要性から「京北幼稚園」を設立したのである。110    

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