ショートヒストリー東洋大学
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(明治三七)年一月の厳冬に、大学開設と修身教会設立の報告のために甲州地方を巡回した。学長の円了も、自ら各地を巡講した際に寄付金の募集につとめた。例えば、一九〇四そのときに寄せられた寄付金の合計は約四八八円であった。巡講日数から計算すると、一日平均では三三円になった。当時の物価から考えて、これは決して少額とは言えないものであった。円了の学校の経営手法をみていた人は、つぎのように語っている。寄付金の集まっただけ、土地を買うなり、建物を新築するなりするといったやり方で、決して借金などをするというようなことはなかった。まったく石橋をたたいて渡るという主義であった。だが、このような円了の努力にもかかわらず、大学の財政が当面していた事態は深刻であった。これまでの哲学館時代の一五年間に、新校舎の倒壊と再建、火災による校舎の焼失、新校地の取得と校舎の建築、中学校の新設、大学用地の購入など、かなりの大規模な支出があった。その結果を、一九〇四年度の「哲学館大学総決算報告」からみると、累積した負債の総106    

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