修身教会運動かれ、それぞれまた二科をおいて四科とし、修業年限を三か年とした。予科の修業年限は一か年、別科は大学部と専門部にともにおかれ、修業年限は五か年と三か年であった。新たに開設した大学部は二科あり、第一科は「漢文や中国哲学」という儒学専攻で、これに国文学やインド・西洋の哲学を加えた。これに対して、第二科はインド哲学と西洋哲学に比重がおかれていた。教科の内容をみると、大学の学科としての専門教育とともに幅広い関連科目があって、今日でいう教養教育を目指している。また、専門部の教育目的の一つを、国際社会に進出する人材の養成においている。円了は哲学館大学の認可の申請とともに、もう一つの構想を進めた。一九〇三(明治三六)年九月一四日、円了は『修身教会設立旨趣』という小冊子を出版して、修身教会を全国各町村に設立する必要性を訴えた。事務局を大学内に設けたが、その動機は要約すれば、つぎのようになる。第四章 東洋大学へ103
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