245355令的な認可を求めていた。すでに一九〇二(明治三五)年九月には、東京専門学校が予科の設置を条件に、大学と「自称」することを許可されて私立早稲田大学となっていたが、専門学校令はそれから半年あまり後に公布されたものである。この専門学校令に対して、私学の官学化であるという批判もあったが、それまで法的裏付けのなかった私立学校に、高等教育機関としての社会的な根拠を与えた点で大きな意義があった。帝国大学の制度になにも変更を加えなかったので問題は残ったが、専門学校令によって、多くの学校が認可された。官立の専門学校は実業関係に多く、私立の専門学校は、校数では宗教系が多くを占めたが、学生数では法律、経済、文学系が圧倒的に多かった。表2は専門学校令以降の高等教育機関の数の変化である。第四章 東洋大学へ101(『東洋大学百年史 通史編Ⅰ』p.572。女子高等師範学校は高等師範学校に含まれる)表2 専門学校令以降の高等教育機関数教育養成学校854専門学校 種別年度明治38明治45大正7私立公立国立839538859実業専門学校131924高等師範学校344高等学校788大学
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