ショートヒストリー東洋大学
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専門学校令一九〇三(明治三六)年三月二六日、勅令第六一号をもって「専門学校令」が公布された。これによって、日本の高等教育は大きな転機をもつことになった。ちょうど哲学館事件の渦中であった。それまでの政府・文部省は、「大学は帝国大学という総合大学のみ」という方針をとり、多くの官立・私立の専門的学校があっても、それらに法令的な認可を与えて、制度の中に位置づけようとはしなかった。一八九四(明治二七)年の日清戦争以後、日本社会は軽工業を軸とした急速な工業化と、それにともなう近代化の進展があり、あらゆる分野で、高度で専門的な知識・技術をもつ実用的な人材を必要とするようになっていた。そのため、政府・文部省は実業教育の振興を課題の一つとし、中学校令の改正、実業学校令、高等女学校令の制定など、つぎつぎと関係法令を整備した。残されたのは高等教育に関するものだけであり、教育実績を上げていた私立の学校は、政府・文部省に対して法100    

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