そして人を安心させてやりたいのです、私(円了)はこれを迷信退治と名付けました。※井上円了(『迷信と宗教』参照)は、迷信退治は教育ではなくて宗教の範疇として、「われわれが運命に迷ったる場合に、わが微弱なる心を世界の大精神の地盤の上に樹立せしめて、一点の迷いの起こらぬようにするのが宗教である。よって、神仏も宗教も物質界の規則を支配するにあらずして、精神界の帰所を指導するものと見なければならぬ」と迷信を正信に変える手法として、人の心を神仏の大良心と合体させる必要があると説く。古代の妄説は花のごとく今日の学説は実のごとく妄想の花はな散さんじてはじめて真実の実を結びしものと見て不可なからん。10294│ 学説は実となる
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