二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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東洋大学長賞東洋大学生の部柳瀬心太朗虚心坦懐私は井上円了の志について学ぶまで、哲学など堅苦しく、自分に通ずるものは無いという先入観があった。また社会福祉を学ぶために入学したのにも関わらず、興味の無い哲学の学習を強要されることに、私は当初不服であった。しかし円了の志に触れ、探求と理解を深めていく上で今までの考えが覆ることになる。過去の経験や、わずか数ヶ月間の自分の大学生活の中でさえも、振り返れば円了の志と通底する部分が多く存在したのである。そして円了の思想は、私が学ぶ社会福祉を包括する重要な概念であることを知った。最初に、哲学を学ぶことの意義を明示する。現代において哲学に触れる機会が少なく、判然としないためである。三浦(一九九七)は哲学とは、「思想練磨の術として必要な学問」としている。すなわち「人間の精神活動を活性化し、物事の見方や考え方の基礎を身につける」ことを重要視した教育である。肉体を運動によって練磨するのと同様に、精神も哲学を学ぶことにより練磨し、様々な場面で応用する力をつけることが大切である。私は、哲学は時を経ても個人の心の中に在り続けるべき人間の核となる学問だと考える。円了が打ち立てた建学の精神の一つ、「諸学の基礎は哲学にあり」に私は大変感銘を受けた。常識や流行、偏見や先入観に捉われることなく、自分自身の頭で物事を深く考え対処するという意味が込められてい社会学部一年─ 7 ─ 

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