のように跡取りになることに違和感を持ちながらも勉学に励んでいた。そんな中一〇歳の頃円了先生の人生に大きな影響を与えた人物石黒忠悳との出会いがあった。円了先生は一〇歳の頃漢字と算数を習うために、石黒の塾に通い始めた。円了先生は石黒忠悳の塾に通い、教えを学ぶうちに知りたいという気持ち、好奇心を持ったのである。この出来事がのちの円了先生の夢中になれる性格へと繋がった。このような恩師とも言える人生への影響を与える人物との出会いは、誰にしも必要な事だと思う。その人物と出会っていなければ、人生が変わっていたかもしれない。石黒との出会いがなければ円了先生のはどのような道に進んでいたのか、どのような志を持っていたのか、一人の人物との出会いが人生の"運命"を左右するともいえる。円了先生と同じように私自身もそのような出会いがあった。人生の根本的志となるような考えを学んだ人物との出会いがあったのだ。自分の人生の出発点は間違いなくその時である。自分の人生の出発点を忘れずにいつまでも好奇心を持ちチャレンジしていく円了先生の姿を、私も自分の人生に生かしていきたい。また私は円了の教育理念の原点となる出来事があった一八七八年の話が特に印象に残った。円了先生は、長岡学校で和同会の設立をした。この和同会とは、みんな仲良く等しく付きあおうという意味が込められている。この時代は、同じ学校で学んでいても士族と平民の子との身分意識が強く差別があった。円了先生は、それを解消して親しく仲良くしようということから和同会と命名した。この時円了先生は『万人は同等だ』という考えを強く持ち、これは今の東洋大学のやさしく温かみのある教育理念の芽につながる出来事となった。この『万人は同等だ』という考え方はこの時代にとても重要であったと思う。身分差別が当たり前だった時代にそれは、当たり前ではない、解消しなければならないことだと主張し実行することはどれほど凄いことであろうか。目標や夢を口に出すことは容易なことだが、自分で行動し実際に実行することは誰しもができることではない。自分の意志を強く持ち、我慢強く継続することができる人こそが円了先生のように新時代を創る人となるだろう。私は円了先生のように自分の意志を貫き大きな目標を達成したことがない。これから自分の夢を叶えるにあたって何度も壁にぶつかることがあるだろう。その時は、自分はなぜ夢を叶えたいのか、夢を叶えたい、目標を達成したいと ─ 68 ─
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