二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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優秀賞才木美歩私たちへ新型コロナウイルス感染症やロシアによるウクライナ侵攻問題などで人々の命が脅かされる中、おのずと自分の在り方について考える機会も増えたように思う。平和かと言えば頷きにくい、時代が変わろうとしている今、その考えの行き着く先は哲学であった。仏教哲学者である井上円了の「自分の運命は自分で拓け」という言葉の問い直しが、私たちに課されている。そう思えた理由が顕著にあらわれているのが新型コロナウイルス感染症による問題だ。緊急事態宣言や蔓延防止重点措置が適用されたことで、外出を自粛せざるを得なくなった環境は、飲食店のみならず学習の場にも影響を与えた。飛沫感染を避けるため対面授業が出来なくなり、臨時休校やオンライン授業へのシフトといった対策がとられた期間は、私たちに主体性が強く求められた期間でもあった。円了はその旺盛な好奇心から漢学や洋学など、多岐にわたって学びを深めた。好奇心とは学ぶための触媒となるものである。好奇心を持っていることが主体性の有無を左右するのだ。しかし、コロナ禍は好奇心を妨げる原因になってしまった。円了が、円了から見たこれからの時代、つまり現代を「活社会」と表現した通り、世界は目覚ましい発展を遂げた。スマートフォンが普及したから、オンライン授業が成り立っているように、活社会ならではの問題への立ち向かい方もある。だが、外出自粛期間中の暇を持て余して、時間やお金を娯楽に注ぎ込み、学習が疎かになる例があったのも事実だ。特に外出自粛の要請が厳しかった東洋大学京北高等学校一年十組─ 63 ─ 

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