であり、わからないことを見つけることにもつながる。知らないと自覚することができれば必要な知識を自ら見つけにいき考えるので問題も解きやすくなるだろう。この問題とは授業で出るような問い以外に、日頃の悩みも含めることができる。私は、円了先生が志したように社会の常識にとらわれず自分の哲学を貫き通せる人になりたい。東洋大学京北高等学校での授業を通して、他者との考えを比較し、自分の価値観を知ることで、自分の哲学とは何か見つけられるようにしたい。また、他者との考えを比較するだけではなく、そう考えた過程を大事に、じっくり考えられるようにしたいと思う。何とでも考えられ、正解がない問いだからこそ自分が納得するまで考え、問い続けることが大切なのだ。自問自答し、答えを見つけるために様々なことにチャレンジすることで、答え以外の何か大切なものも得ることができると思う。今は人の考えをけなすような人がいる社会だが、社会の風潮に身を任せ、自分に嘘をつくことは間違っていると思う。円了先生が、権力者としての人生がすばらしいわけではないと考えたように、世間の「よい」ではなく、自分が考える「よい」生き方をしていきたい。激動の中で発展していく世界や社会の中で、自分を見つめ、探し出した哲学を貫き通せるとよいと思った。自分に正直になって、互いに人間性を尊重しあえる人が増えればよりよい社会を築いていけるだろう。─ 60 ─
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