二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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た、官職を固辞したことや、自分の立場をわきまえていたことから、「よそから月給をもらわないでひとつ人間一生でどのくらいの事業ができるか試す」という自分の哲学を実行する人生を送った。「お金を公然と語る人間は汚い」と言われていた時代に「他から扶助保護を受けないで」と自分の力で事業を興すために、円了先生はクラウドファンディングの方法で寄付金を集めた。これができたのも自分の哲学を貫き通すという強い気持ちがあったからだろう。社会に貢献することがよりよい生き方と考えていた円了先生は多くの人に学びを広げられるように、全国で講演したり、本を書いたりした。他にも常に変化していく世界を偏見や思い込みを除いて「自分の目」で見るために、二四年のうちに三度も世界各地を視察してまわった。こっくり様の正体を解明できたのも常識や先入観にとらわれず、事実だけを見ることができる円了先生だったからだろう。子孫に財産を残すことが美徳だとされていた時代に「学校は社会の共有物である」として最低限なものだけを渡したことからも、世間の考えより自分の哲学を貫き通したことがわかる。また、哲学館時代に「自由開発主義」として人間性を育てるために「本人が自分のために自覚し、実行することが大切だ」と述べている。日本にはなかった生涯学習を広めたのも自分の哲学を貫き通すためのチャレンジだと考えられる。これからの教育の場では、授業をする時に前提となる当たり前のことに「?」を付けて考える哲学する時間が必要だと思う。なぜなら、グローバル化が進みAIが発達していく社会で求められる人は哲学的に考えることができる人だと思うからだ。哲学が発達した欧米と競っていくには哲学を学ぶことが鍵になる。また、AIに仕事を奪われそうになっている今、AIにできない、自分なりの哲学を持って動くことができる人が求められるはずだ。予測不可能な現代社会では、思想や精神を錬磨する術を身につけ、応用可能な知性を持っていることが大事になると思う。大抵の人は些細な疑問や当たり前とされていることに「なぜ」と問われたら、「そういうものだから」と処理するだろう。私もそうだった。しかし、今では「知りたい」という気持ちを持つこと、哲学することの大切さを理解したので、一緒に考えたいと思う。偏見や思い込みをなくして身近なことの本質に迫ることで、自分の生き方の前提となる思考や概念について考え直すことができる。また、知りたいということは知らないということ─ 59 ─

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