二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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た。その危険の中でも自分の考えや思ったことを貫き、執筆活動や研究活動、そして教育活動にたくさんの力を注いだ。明治の時代に現代のような考え方、活動をしていたのは当時を考えるととても斬新なことだったと思う。円了の強みは好奇心や斬新さだけではなく、不屈の精神だと私は考える。「東洋大学」という形になるまでに円了は様々な壁にぶつかった。私立学校の地位向上や募金、「風災」や「火災」そして「人災」とスムーズにはいかなかった。人々の心をつかみ、信頼を得るのは難しい。私も今までリーダーシップをとるにあたり、このことで悩むことが多くあった。しかし円了は人々からの信頼を得て、少しずつでもお金を集めた。円了の教育理念や熱い考えがあったからだと思う。また、度重なる災害を経験しても諦めず、前進しようとしたことは、この本のタイトルにもある「自分の運命は自分で拓け」という言葉を体現していると考えられる。「全国巡講」や「世界旅行」も円了の教育活動の一部だ。日本国内をまわり、講演会を行うことで、自分の理念や哲学を説き支援や資金を得た。また、外国に興味を持ち、実際に足を運んだ。聞くことよりも自分の目で見ることにより、正確な情報を素早く得ることができる。この時代の外国は明らかに日本よりも発展している。その現状を日本に持ち帰り、自分の肌で体感したことを後の教育に活かしていた。「男女共学」や「生涯学習」は日本にいるだけではなかなか思いつかないと思う。東洋大学から退いた後も、円了の理念や行動は変わらなかった。外国に負けないように、民力を高めるためにさらなる活動を続けた。寺院や学校を開放してもらい、有志によって設けた修身教会では道徳的なことを教えていた。「世界旅行」で得た知識、言論の自由や人格の尊重などの長所を日本の発展のために日本風にアレンジをした。教育者として、まだまだ自分の信念を貫こうとしていた。これは、自分は一人の教育者であることを誇りに思い、人々や生活のためという正義感もあってこそだと考える。私も自分の立場に自覚と誇りを持つことで、最後までやるべきことをやり通すことができたことがある。井上円了は六一年間でたくさんの大きなことに挑戦を続けていた。また、小さな挑戦も数え切れないほどあっただろう。そして幾度となく困難にも見舞われた。しかし円了は、「自分らしく、それでもまわりに─ 57 ─

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