えに、降雪で誰も学校に登校しない悪天候の日であっても、下駄の鼻緒が切れても、勉強することを諦めなかった。円了氏は、幼い頃から勉強熱心だったことが伺える。この経験が、後の困難に打ち勝つことに繋がったのだろうと思った。円了氏は、「哲学を広めたい」との信念から、東洋大学創立に至るが、それには資金を集める必要があった。円了氏の時代は「金のことを公然と語るものは、人間が汚い」と言われていたそうだ。クラウドファンディング方式で広く呼び掛けて寄付金を集めるという勇気のいることができるのは、円了氏の哲学に対する気持ちが強かったからだと感じた。世間から、非難され、思うように資金が集まらなかった時は、苦しかったと思う。円了氏の考え方が独特だなと思ったことは、円了氏が喀血した際に「溜まったものが出たのであるからご心配はご無用です。無いものが出たらそれこそ心配である。」と笑いながら言ったことだ。確かに、血液は体内にあるものではあるが、通常は体内からでるのもではないのだから、体に異常な状態が起きていると思うのが一般的である。その考えこそが、円了氏の哲学的な考え方であると感じた。考え方や、分析する視点を変えると、違う考え方や答えがみつかるのだと感銘を受けた。この本には書かれていなかったが、没後を調べると、哲学者らしい円了氏をうかがえるものとして墓石がある。一般的な墓石は、和形墓石のような長方形の石に名前を彫ってある墓石をイメージするだろう。円了氏の墓石は、形がとてもユニークで「井」の文字の形の石の上に、円型の石を置いて名前を表現している。世間や常識にとらわれない表現が、円了氏らしいと感じた。東洋大牛久高校の教室には、「諸学の基礎は哲学にあり」の円了氏の言葉が掲示してある。「どんな学問でも、そのおおもとにあるのは、知りたいという気持ちだ」ということである。円了氏は、純粋に「自分が知りたい、興味があるから」という信念で勉強に取り組んでいたのだと思う。今の私は、「この勉強がしたい」というより、「この勉強もしなきゃ」と日々を追われて過ごしている状況にある。そのため、興味をもって深く勉強したいテーマは見つけられていないが、熱意をもって信念を貫きとおせ─ 48 ─
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