もそのおおもとにあるのは、知りたいという気持ち」という思いが、建学の精神に込められているということを、改めて考えることができた。一〇〇年の年月が過ぎても、どんな場所に住んでいても、若くても年を取っていても、誰でも知りたいという気持ちはあるし、知りたいと思うことは人間にとって大切だということを、円了先生は建学の精神に込めたのだと思う。そして知識を得る教育だけではなく、人間性を高める教育をしなければならないということも本に書かれていた。学校で勉強していると、定期考査や大学に入るために勉強をしなくちゃ…という思いになっていたが、本人が自分のために自覚をして実行することが重要である、という円了先生の方針がとても印象に残った。円了先生の伝えてくれた哲学「知りたいという気持ち」に、自分がしっかり向き合うことで、今後の学校生活や未来がより良いものになるのではないかと思った。また、哲学館の教育理念である「余資なき者・優暇なき者に教育の機会を開放する」という理念に基づいて、現代の通信教育にあたる「館外員制度」を設けて、お金がない、遠くて通えないという人々にも、勉強する機会を与え続けてくれた。現代のクラウドファンディングのような方法で資金を集めたり、日本の基盤を支えているのは、地方都市や田舎の町や村であることを重視して、教育の重要性を訴えたり、円了先生は今の時代を生きているのかと思うくらい、現代にもつながる思いを持っていたことにとても驚いた。自分の人生をかけて日本中、世界中に自分で行き、そこにいる人々にその思いを話すことで、たくさんの人々が知識を得て、知りたいという気持ちを持つことができ、時を越えて、私たちにもつながっているのではないだろうか。「活書活学」と円了先生は表現しているが、一〇〇年も前の時代に、三度も世界各国をまわることで、リアルタイムの世界を、活きたテキスト(活書)として、活きた学問(活学)にするために、少年時代から得てきた知識と経験をアップロードしたとあった。現代は世界中の人とすぐにつながることができて、世界中の景色を画面越しに見ることができる。一〇〇年前に比べて、たくさんの情報があふれていて、知りたいと思えばすぐに知ることができる世の中だ。しかしそれは活きた情報なのか…。円了先生の思想や言葉、行動、六一年の人生を知ることで、私も活きた情報を自分の力で得ることができるよう、知りたいと思─ 44 ─
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