二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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分の考えを持たずにいると必ずどこかで他者の意見が流れきて、その物事を「他者の目」でしか見ることができなくなってしまうからだ。そうなると自分で考える力が衰えていくのはもちろん、他者の意見に流されるだけの受動的な人間になってしまう。しかし、「自分の目」だけを使い主観的にしか考えることしかしないというのも一見良いものの考え方と感じるかもしれないが、自分を高めることには繋がっておらず、井上円了の考え方と異なったものである。よって、物事を見るときはまずは「自分の目」を使い、知りたいことや分からなかったことを理解した上で「他者の目」を使い、客観的に見て自分の意見を高めるというような手順で見ることが大切であり、井上円了の考え方に似た考え方だと感じた。しかし、私は現代の世の中では昔ほどこのような考え方ができにくくなっているように思う。なぜなら、今の人々の情報を得る方法はほとんどがインターネットになってきているからだ。だが、インターネットで情報を得ることが問題なのではなく、他者のコメントをすぐに見ることができてしまうという点が問題なのである。これのせいで意識をしなくても他者の意見が入ってきて、物事を見る目が「他者の目」になってしまい、「自分の目」を全く使わなくなってしまうのだ。たとえば、熊本地震の後にライオンが逃げたというデマが拡散され、SNS上で大きなニュースになった。これも多くの人が「ライオンが逃げたらしい」といったニュースのコメントである「他者の目」しか使ってこのニュースを見ていないせいで、周りに流され大きなパニックが起こってしまった。きっと、井上円了ならばここでも最初は冷静になり、「自分の目」を使い「テレビではこのことについて報道しているか」「他の人の目撃情報はないのか」といったような、ある程度自分の考えを持ってからこのことについての他者の意見を見て、自分の考えたことと比較をし、より正しい情報を得ただろう。だが、インターネットは悪いところだけではない。すぐに多くの人に自分の考えを発信できるという強みがある。これをうまく使うと自分が導き出した正しい情報を広め、このニュースを読んでいる人の「他者の目」となり、その人の考え方を高めることができる。そして、この井上円了の考え方とインターネットの長所を合わせた一連の動作が繰り返されていくことで、より正確な情報を大勢の人達の力で作っていくのではないかと思った。このように、井上円了は主観的な「自分の目」と客─ 38 ─

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