私自身もそうだが、人間の言動は心理が絡むことで変化している。例えば、「噂」で考えてみると、噂というものはその内容が事実であるかどうかに関わらず、受け手の心理で判断してしまうということがほとんどだろう。そして、判断した心理によって噂が真であるか偽であるかを信じて疑わない自分だけの真理が生まれるのではないだろうか。この心理と真理の働きが成り立つのであれば、円了先生が追求していたことは今もなお、私達の身近なところで無意識に生き続けているということになる。では、この心理と真理の働きは自分自身にどのような影響を与えているのだろうか。現代社会ではスマートフォンなどを使えば、どんな情報でもすぐに手に入れることが可能だ。また、テレビをつければあらゆるニュースが発信されている。その内容を信じるか信じないか、事実なのか事実でないのかも決めるのは自分自身ということになる。しかし、事実を信じることは良いとして、事実でないことを信じてしまった場合はどうなってしまうのだろうか。現代社会では誤った事実をネット上に広めるという傾向がある。これは誤った事実を自分だけの真理で正しいと判断し、その誤った事実をネット上に広めようとする行動を心理で決めているのではないかと私は考えた。そして、どの情報が事実であるかないかを見極めるためには、無意識の中にある自分だけが正しいという真理によって心理を実体化してしまうのではなく、自分の真理を意識の中に取り込むことによって正しい自分の心理で行動することが重要になるのではないだろうか。つまり、事実を信じるという場合で考えると一つの情報の全てを一概に信じてしまうのではなく、様々な情報と照らし合わせることが正しい自分の心理で行動することに繋がる。この正しい自分の心理で行動することは、円了先生が世の中の不思議を追究し解明していく中で拓いていったものではないかと考えた。円了先生が生前、志していたもの、築き上げたかったものは二つあると私は考える。一つは人間の心理と真理の構築、そして間違った真理を正すことである。妖怪学から心の奥底に眠っていた「真理」を見つけ出し、不思議な現象を人間の「心理」によるものだと円了先生が定義したのは、人々に心理と真理の関係性を示すことも目的としていたのだ。また、心理と真理の関係性を示すことで、誤った真理を正しい真理へと繋いでいく。そして、正しい心理や言動へと結びつける。円了先生の志を現代社会でも紡いでいくことが自─ 36 ─
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