二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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として残っていなかったと思う。マラソン大会に向け、時間を惜しまず努力を重ね、また時間を計測し自分なりに追求する。このことも、少し哲学ではないかと思う。そう思うと井上円了の生涯追求し続けた「哲学」は、様々な人々にも、様々な場面にも当てはまるように思えた。一つのことを納得がいくまで調べ、考え、導き出す。これも哲学。身分や人権、世界が違っていても平等に学べるのが哲学。井上円了は、そういうところに魅了され生涯哲学を追求したのかもしれない。この本を読んで、哲学の観点からいくと、私が東洋大学附属姫路高等学校に入学したことは意味があるのではないかと思うようになった。私が東洋大学附属姫路高等学校に入学したのは、併願であり希望の高校に進むことができなかったからだ。希望する高校に進むことができず、高校に対してマイナスに思うこともあった。しかし、哲学について学んだ今、なにか意味があるのではないかとプラスに考えられるようになった。ここでしか見つけられないものがあるから、今の未来へのレールに進んだのかもしれないと感じるようになった。まだ私にはやりたいと思うことや興味を持ち探求し努力しようと思うことが見つけられていない。しかし、これからの高校生活三年で見つけようとワクワクしている自分がいる。「自分の運命は、自分で拓けるもの」未来へつながるまっすぐなレールにのっていたとしても、自分の考え次第で何にでも変えられる。自分の行動次第で違うレールを作ることもできる。マイナスをマイナスと捉えず、プラスに変え、努力する。哲学は難しいようで、自分の考え一つで物事を変えられる容易なものなのかもしれない。「諸学の基礎は哲学にあり。」この言葉を教育理念としている東洋大学附属姫路高等学校に入学したことを誇りに思い、意味があると信じている。だから、意味のあるものになるよう、容易に変えることができる未来への挑戦を恐れず、生きている今を努力していきたい。─ 34 ─

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