二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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思いから一四年間ほどで五〇〇〇件以上の講演を行ってきたそうです。ここで円了は“生涯学習”というものを教えていました。そもそも“生涯学習”とは、だれもが学ぶことができる心の教育のことを指します。これは、わたしたちが今学んでいるものとは異なって、考えることの喜びを学ぶことだとわたしは感じました。また、円了は「社会に出て、一つのことを達成しようとする人は、哲学を心得ていなければならない」「哲学はものさしのようなもので、世間や人事の判断基準となる」とも言っていて、ここからも哲学の大切さがわかります。判断基準が哲学ならば、自分の意見を周りの人たちに流されずに発表できる人のみが社会で伸びる人なのでしょう。これこそが他人に従わずに自分で生きるということのいい例だと思います。そして円了にも最後まで解き明かせなかった不思議があったそうで、その不思議はわたしたちにも身近であるといわれています。この不思議については詳しくはわかりませんが、私たちにとって大きな影響をもたらすことでしょう。これらの円了の残してくれたことより、わたしたちは自らが物事を判断するということを覚えていかないといけないと思います。例えば、わたしのように他人の意見に合わせてしまう人は哲学を学び、少しでも自分に自信を持ち自分の意見を周りに流されずに言えるようになることで考える喜びも知ることになるでしょう。このように、一人ひとりが努力しようとすることで将来は変わってきます。だから、哲学を学ぶ必要があると私は考えます。そして現在、外国では哲学が必修となっている国もあります。例えばフランスやスペインの高校では哲学の授業が週に二・五~七時間設けられています。わたしは日本も哲学の授業を設けるべきだと考えます。今の日本人は周りに合わせるということして、自分の意見があるのにもかかわらずその意見を自ら述べようとしていません。これは「偽りの自分」を作っていると考えてもいいでしょう。偽りの自分を作らないためにはやはり哲学を学ぶ必要があると考えられます。もし哲学を学ばないのであれば、自分の意見について自信を持って言えないという人が増えてしまい、これからの未来に影響が起こると考えます。例えば意見を言う人が減ってしまうことで、少数の人の意見のみが政治に反映され、不満がたまってしまう人も増加することが考えられます。そうなってしまうと、国は崩壊状態となってしまうでしょう。だから哲学を学んで、周りの意見に合わせたり他人に言われたことのみをするの─ 31 ─

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