二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
18/76

る機会が多いと感じたからだ。例えば、財政について学びたいと思えばその分野に詳しい教授からの講義を受けることができる。異文化社会の現状や課題について学びたいと思えばその分野の研究をしている教授から教えていただける。学ぶ分野が絞られていない分、自分の教養を広げるために好きな分野を選んで学べることに魅力を感じたのだ。このような仕組みをより多くの学部や大学で導入することで、人々の教養を高めることができるのではないだろうか。確かに、義務教育の九年間はみっちり教養を学ぶ。しかし、小中学生のときは本当に基礎的なことしか学ぶことができないし、大人になってから同じことを学んでも感じ方は変わってくるだろう。だからこそ、大学生になった今もう一度教養を学ぶ機会を設けるべきだと思うのだ。そうすることでSNSによる誹謗中傷や差別、考え方の多様性のような当たり前のことを考え直すことができる。なぜ誹謗中傷をしてはいけないのか。なぜ差別が行われてしまうのか。このような日常にあふれる当たり前の問題を忘れてしまわないように、自分の追求したい学問を学ぶかたわらで教養を学ぶ機会を設けるべきだ。また、東洋大学には夜間に授業が行われる二部が残っている。働き方改革による労働時間の短縮や経費削減などを理由にどんどん夜間の授業を行う大学が減っていっているにもかかわらず、東洋大学は夜間も授業を行っている。これも井上円了が目指した、学問を学ぶ機会を貴賤貧富問わず与える、という姿勢からきているのだろう。これによって、家の都合などから昼間に大学に通うことが難しい学生も授業を受けることができるため、ここからも東洋大学の理念を感じられる。以上のことから、私は井上円了は哲学を教えることで人々に教養を身に付けさせようとしていたのだと考える。私も当たり前のことがわかる、教養を持った人間として社会に出ていけるよう、東洋大学での学びを通して幅広い知識を身に付けていきたい。─ 16 ─

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る