二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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く異なる特徴である。しかし、自分の学びたい分野に傾倒しすぎることで視野が狭くなり、専門的な知識しかないがために当たり前のことがわからない人が出てきてしまう。例えば、ロシアとウクライナの戦争について専門的に研究している人が、テレビやツイッターなどで自分の意見をさも正解であるかのように話している場面をよく目にすることがある。そして一般の人々の意見を真っ向から否定していることもある。専門家からしたら一般の人々の意見に納得できないことも多々あるのだろう。しかし、まるで彼らを馬鹿にするかのような口調や文章を目にすると、果たしてこれは専門家として正しい行動なのだろうかと疑問を持つようになった。このような態度をとる人の話を聞いてくれる人はいないだろう。そうなるとせっかく専門的な研究を行ったとしても、その知識が役に立つ場面が減ってしまう。専門家の人々の中には意見の多様性を大切にするという常識をもう一度学びなおすべき人もいる。井上円了は教育機会を広く与えることを志し、現在の義務教育のような教育制度を整えようとしていた。彼は特に哲学に重点を置き、哲学館を創設した。哲学館創設の精神は晩学のもの、貧困者、語学力のないものに教育の機会を開放することであった。『哲学館講義録』を通じて自宅で学習できる、今日でいうところの通信教育に着手し、館外員と呼ばれる購読者に講義録を送り、学校の枠を超えて国家・社会に貢献しようとするすべての青年に哲学を伝道しようともしていた。ここからも井上円了が哲学をいかに大事にしていたかが伺える。では、なぜ井上円了はこんなにも哲学を大切にしていたのだろうか。この問いについて考えるには「諸学の基礎は哲学にあり」という言葉がポイントになる。これはたとえばカントやヘーゲルの哲学を学ぶということではなく、常識や流行、先入観や偏見にとらわれず、物事を掘り下げて深く考えることが大事だということを意味する言葉である。このことから、円了は哲学を通して、人々に自分で考えることがいかに大切なのかを伝えたかったかのように感じる。誰かが言っていたことを鵜吞みにするのではなく自分で考え直すためには、幅広い知識が必要になる。円了の目指した教育の形を知って、私は教養を身に着けて広く知識を得ることがいかに大切かを学んだのだ。私は現在国際学部のグローバル・イノベーション学科に所属している。この学部を選んだ理由は、単純に英語が好きだったことに加えて、世界のことを広く知─ 15 ─

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