人々は上辺だけで信じてしまいがちだ。それゆえに起こる差別や偏見は数えきれない。人々の心や考えがそれらを構築しているのだ。円了の妖怪学的な考え方でいうなれば、自らがその情報が真実かどうか確かめることこそが今の社会に必要な考え方である。円了は心の教育こそ文明開化につながると言った。しかし、現代は周りの環境や少数の人だけが独り歩きしている状況だ、心は何にも追いつけず現状を鵜吞みにするしかない状態である。それゆえに差別、偏見、自殺、孤立につながっているのではないだろうか。私も今ある現状に満足してしまっている傾向がある。調べて出てきたものが間違っていたとしても何も考えず信じてしまうだろう。これでは、何も成長しないのである。疑うことをしない以前に知識がないのである。だから、井上円了は心の成長がいかに文明開化にとっていかに重要かを伝えたかった。イギリスにおける生涯学習では子供から老人までもが学び続ける。これこそが文明開化に繋がると円了は言った。円了の妖怪学には三つの怪がある。誤怪、偽怪、真怪である。ネット問題やいじめは誤怪や偽怪になるのではないかと思う。つまり、人の勘違いや偽りから起こっているものである。これらはすべて、解き明かすことのできる問題であると円了は言っている。現代の社会で起こっている事象はすべて解決・改善することのできるものなのに、できていないのは心が成長していない、させていない我々の責任であると思う。心の成長には自分自身を疑い見直す必要があるのである。そのためには、かつて円了が町の人々に妖怪学を伝えていた時のようなきっかけが重要なのだ。私はそんなきっかけを与えられるような人間になりたいと思う。そして、唯一円了の解き明かすことができなかった「真怪」は、解き明かすことのできない本当の不思議の事である。円了は最後まで解き明かすことができなかった。また、円了は「一片の雲も、一滴の水も、みな妖怪なり」という言葉を残している。妖怪の存在を否定し続けてきたが、雲や水でさえも人々の心を惑わせる妖怪であると伝えたかったのではないだろうか、私たちの身近にある事象こそ妖怪なのだと。何が真実かはっきりしない現代だからこそ、井上円了が妖怪学を通して伝えたかった日本人の新たな「ものの見方・考えかた」を現代に作っていかなくてはいけないのではないかと思う。日本人は周りに合わせたり流されたりする傾向の強い人が多い国である。だからこそ、円了のような自分自身で真実を見極め続ける─ 13 ─
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