二〇二二年度「井上円了が志したものとは」入賞作品集
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き』人々に教育の門戸を開いたことは彼特有の功績であるといえる。井上円了は旧長岡洋学校で洋学などを学んだ後、創立間もない東京大学に入学している。貧しい暮らしをしていたわけでなく、勉学をする機会を与えられなかったというわけでもない。日本が発展する為には様々な層が大学教育を受ける必要があるという信念から、富や権力を持たない人々に教育の機会を与えた。現在の東洋大学には『余資なき優暇なき者』の為にイブニングコースが存在し、二一世紀も学部が増設されている。私立大学でありながら学費は国立大学よりも安く、授業も昼間と同等の内容を受けられることから経済的に恵まれない生徒の救いであるといえる。また、社会人になってから学ぶことができるというのも大きな利点だ。民衆に教育機会を開放するという哲学館創立の精神のもと、日本全国に足を運んで講演活動を行った円了はまさに生涯教育のパイオニア的存在である。経済的に恵まれない学生や、時間の無い社会人など『余資なき優暇なき者のために』という円了の意思はイブニングコースにこそ濃く受け継がれているはずだ。また、円了は遠方に住んでいるなどの理由で哲学館に通えない人々に「館外員制度」を設けて、現在の通信教育という形で全国各地に門戸を広げた。貧富も距離も関係なく、誰にでも等しく学ぶ機会を与えるという面では、教育の平等の実現に最も尽力した人物だと言える。私自身、高校に入学した時点では経済的な面から大学への進学を断念していた。周囲は卒業後の進路は大学が当たり前という空気で進路希望を書くのが億劫だった。高校卒業後に働いている親は大学進学に理解がなく、勉学の為に高額を支払うのは無駄であるという扱いを受けることもあった。そのため進学後も経済的な援助が期待できず、私は大学教育とは縁がなかったのだと言い聞かせていた。しかし高校時代の担任に東洋大学のイブニングコースの存在を紹介され、私の進路は大きく変わった。学費は安く、四年で卒業が可能、都心からのアクセスも良く、昼間は働くことができる。ここでならば私も大学教育を受けられると思い、その瞬間から一般受験の為の勉強を開始した。現在では昼間に働きながら大学教育の学びを得る日々を送っている。時代を超えても尚受け継がれている円了の理念に救われた身として、彼の『余資なき優暇なき者のために教育の機会を解放する』という旨趣は最も優れた功績だと考える。─ 10 ─

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