CATALOG 井上円了
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9ところで、本図に先行する洋画家·渡辺文三郎(1853-1936)の《四聖像》(所在不明、明治18年)があり、同図には中村正直(敬宇 1832-1891)が賛を寄せている。渡辺の《四聖像》は、四聖の上半身のみを描いたもので、人物表現としては稚拙さが残る。哲学館と哲学祭の拡張を企図していた円了にとって、自己の思想を象徴し、かつ祭祀の要となる本格的な尊像が不可欠となり、改めて雅邦に本図の制作を依頼したのかもしれない。円了と雅邦の接点については詳細不明だが、円了は、他に雅邦の《山水図》(東京富士美術館蔵、明治31年頃)も所有していたことがわかっている。なお、本図の制作年については諸説ある。本図の紙背に「明治弐十三年秋□ 橋本雅邦翁筆 井上円了所蔵 哲学堂内ニ掛ラルモノトス」 (□は難読字)の墨書があるが、筆記者は不明である。本図が雑誌『東洋哲学』第2編第1号に掲載された明治28年(1895)が制作年の下限になるのは間違いなく、円了の『南船北馬集』第3編では、明治26年から27年に本図の揮毫を依頼したと回想している。本図の抑制が効いた筆線や色彩表現を考慮すれば、明治20年代半ば以降に制作されたものと見なすのが穏当だろう。(田中 純一朗)参考: 《四聖像(複製)》(渡辺文三郎画、中村正直賛、明治18年〔原画制作〕)

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