58訳、梵語仏典と漢訳仏典の対照研究をし、明治17年にMaster of Artsの称号を得て帰国した。哲学館から、よりオリジナルに近い仏典を求めてチベット探検に赴いた河口慧海(1866-1945)、能海寛(1868-1903?)に強い影響を与えた。清沢満之(1863-1903)の後に真宗大学(現大谷大学)学監を務め、円了の東洋大学葬においては導師を務めた。また、南条は円了の死後、円了が東京大学学生時代に同じ下宿に住んでいた藤井宣正(1859-1903)、ともに手を携えて哲学館を創立した清沢、この円了と関係の深い2人の命日に、その15年後、円了もまた逝去するという奇縁を漢詩に詠んでいる(本書p.41参照)。(出野 尚紀)045哲学堂八景漢詩(南条文雄朱筆)「哲学堂八景」は、井上円了が哲学館大学の移転予定地であった現在の哲学堂公園となっている場所がもつ立地の素晴らしさを宣伝することを目的に、瀟湘八景を元に選定した。本作はそれぞれ周囲の光景に加え、ランドマークとして聳え立っていた天狗松を題材に作った漢詩である。その漢詩にさらに漢文を加えて南条文雄(1849-1927)に添削を依頼し、コメントを受けている。南条は、大垣の出身の真宗大谷派僧侶で、号は碩果。明治9年(1876)よりサンスクリット仏典研究のためイギリス·オックスフォード大学に留学して、マックス·ミュラー(Friedrich Max Müller 1823-1900)に師事し、漢訳仏典の英⦿紙本墨書、掛幅 ⦿井上円了筆、南条文雄朱筆 ⦿東洋大学井上円了研究センター蔵
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