56代)の中国思想を代表し、朱子は宋学の代表的学者であり、儒学の一大転換期である宋代を代表する。龍樹(ナーガールジュナ)はすべての大乗仏教の淵源である八宗の祖として仏教を代表し、迦毘羅仙(カピラ)は古代インド生まれの仏教以外の思想の総称である外道を代表する。制作した中沢弘光(1874−1964)は明治33年(1900)に東京美術学校を卒業した洋画家·デザイナーで、黒田清輝(1866−1924)に師事し、白馬会·光風会·白日会といった美術協会の創立に参画した。なぜ中沢が六賢の肖像を描くことになったのかに確たる証拠はないが、東京美術学校(現東京藝術大学)教授であり、円了の肖像画を制作した岡田三郎助(1869−1939 本書扉参照)との縁によると思われる。中沢の洋画は女性像が多く、男性を画いたものは少ないので、これらは貴重な作品群である。(出野 尚紀)044六賢人像井上円了が日本·中国·インドの東洋3国の思想を顧みて、6人の人物を取り上げたもの。日本と中国は思想の流れを転換させた学者が選ばれており、インドは円了が時代区分をすることができなかったため、思想の2大潮流からひとりずつ選ばれている。「四聖堂」は4人、「三学亭」は3人と建物の形と称揚する人物の人数が合致するように選ばれており、選択の範囲も世界·東洋·日本と異なっている。現在は「無尽蔵」(本書p.36参照)に収められているが、もとは「六賢台」の3階に鐘と結ばれて掛けられていた。3国の学者を代表するとして選ばれた6人のうち、聖徳太子は憲法十七条制定などの為政者としての面ではなく、『法華義疏』などの作者として上古の日本思想を代表し、菅原道真も右大臣まで昇った政治家としてよりも、和歌·漢詩に秀でた上に史書をまとめた漢学者として中古を代表する。荘子は孔子以後の諸子百家の雄として周代(戦国時⦿油彩・カンヴァス、額装 ⦿中沢弘光画 ⦿明治40年代 ⦿中野区蔵(哲学堂公園事務所保管)聖徳太子菅原道真荘子
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