CATALOG 井上円了
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54明治44年(1911)1月から2月にかけて台湾で巡回講演を行っていた井上円了が、台北で偶然同宿となった日本画家·西郷孤月(1873-1912)に依頼して描かせた幽霊図。概して幽霊図は女の幽霊を描いたものが多いが、孤月は「幽霊の図」というオーダーに対して、あえて男の幽霊を描いてみせた。依頼した当人も、まさか幽霊が男のすがたで描かれるとは思ってもみなかったようで、「男子の幽霊は弧月の筆を以て嚆矢とす」という賛辞とともに次の七絶一首を贈り、画家と作品に敬意を表した(井上円了『南船北馬集』第6編、修身教会拡張事務所、1912年、p.31)。台北初逢情最温、曾聞孤月画名喧、君能為我揮神手、開得幽霊新紀元。(台北で初めて会いあたたかなその人柄にふれた、孤月君の絵の評判は以前より聞いて知っていたが、君は私のために神の手を揮い、幽霊の新紀元を開いたのである。)孤月は、もとは近代日本画の巨匠·橋本雅邦(1835-1908)の門下生のひとりで娘婿でもあったが、円了が台湾で出会ったときにはすでに雅邦の下を離れ、各地を放浪してまわる生活を送っていた。奇遇にも、かつて雅邦に「四聖像」(本書pp.8-9参照)の制作を依頼した円了は、およそ20年の歳月を経た後、今度は弟子の弧月に絵を需め、その作品をコレクションに加えたのである。なお、この翌年、病を得て台湾から帰京した孤月は、闘病むなしく8月31日に本郷区駒込上富士前町5番地(現文京区本駒込)の住まいで息を引き取るが、偶然にもその終焉の地は、円了の自宅(駒込富士前町53番地、現文京区本駒込)から歩いて10分たらずのところである。これもまた、「男子幽霊図」をめぐるふたりの奇遇な縁といえようか。(北田 建二)042男子幽霊図⦿絹本着色、掛幅 ⦿西郷孤月画  ⦿明治44年(1911) ⦿東洋大学井上円了研究センター蔵

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