CATALOG 井上円了
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(大内青巒賛)[印]御房鋳馬蹄実顆籏蜂穴藹々青巒[印][印](井上円了賛)[印]煩悩泥中菩薩生根悪業浪上仏果結実甫水道人[印][印](前田慧雲墨画)[画(蓮実と蓮根)]雲翁[印]53   題  と同期で、明治29年(1896)7月に哲学館宗教学部を卒業し、明治44年3月に講師の称号を授与されている(『東洋哲学』第18篇第4号、p.50)。箱内底面には「謹呈 東洋大学長高嶋米峰先生座下 昭和十八年七月七日 辱知 富田斅純」とあり、斅純は米峰の学長就任日(昭和18年7月1日)の1週間後にこの掛軸を贈ったことがわかる。黄洋と米峰は哲学館に学び、田中治六(我観)とともに「三羽烏」とも言われた。黄洋は本学出身者初の学長に就任するが、大正12年の「紛擾事件」で学長の職を辞し東洋大学を去った。一方の米峰は「紛擾事件」で反学長派の校友代表となり、黄洋と袂を分かつことになった。その後の二人がどのような関係であったかはわからない。黄洋から斅純を介して米峰に贈られたこの掛軸に、私は二人の縁を強く感じてしまうのである。黄洋が本学を去ってから20年、死去(昭和8年11月11日)から10年、奇しくも米峰は学長に就任した。戦時体制が強化される厳しい社会状況の中、黄洋が三学長合作の扇で仕立てた東洋大学の襷(掛軸)を米峰は受け取った。その胸にはどのような思いが去来したのであろうか。(池上 正男)041青巒甫水慧雲三先生合作扇面この掛軸は、大正6年(1917)11月11日の日曜日に挙行された「東洋大学創立三十年記念祝賀式」で記念品として配布された「三学長合作の記念扇」(『東洋哲学』第24篇第11号、東洋哲学発行所、1917年、p.52)の扇面(原本と思われる)を軸装したものである。三学長とは、東洋大学初代学長井上円了、第2代学長前田慧雲(1857-1930)、第3代学長大内青巒(1845-1918)であり、箱蓋表の墨書の「青巒甫水恵〔慧〕雲三先生合作扇面」と一致する。掛軸の装幀者は大正7年6月1日に第4代学長となった境野哲(黄洋 1871-1933)、装幀日は昭和6年(1931)5月であることが箱蓋裏の墨書の「昭和六年五月装幀成日 黄洋題」からわかる。また箱裏には次のとおり記されている。此書故境野黄洋先生装幀し蔵す 後富田斅純師に渡る 昭和十八年七月高嶋米峰先生東洋大学長に就任せられるゝに及んで斅純師之を米峰先生に贈る米峰先生逝去の後遺族より遺品として余に贈られる 昭和二十四年十二月 高木武三郎[花押]富田斅純は東洋大学第12代学長高嶋米峰(1875-1949)⦿紙本墨画・墨書、掛幅 ⦿前田慧雲画、井上円了・大内青巒賛  ⦿大正6年(1917) ⦿池上正男蔵

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