48* 加藤弘之は、その後哲学館で教壇に立ち、また哲学館顧問および東洋大学顧問も務めた。円了が東京大学に入学した時の東京大学綜理である。**『哲学会雑誌』第9号には、外山正一による演説「哲学館開館祝詞」が掲載されている。のメンバーであった加藤、西、中村、西村、外山の5名は、哲学館創設に関する「哲学館賛成者」(『哲学館講義録』第3期第2年級第24号)でもある。これらのことからも、彼らは円了より一世代年齢が上であるが、円了と互いに信頼関係を築いていたことが容易に推測される。哲学会は、設立以降現在まで、東京大学哲学研究室を中心にして活動が行われている。またその学会誌である『哲学会雑誌』も、第64号で『哲学雑誌』と名称変更され、現在に至っている。このように、円了は一世代年長の5人をはじめ、同世代の哲次郎、有賀、三宅、棚橋などと、同じ時代に哲学の仲間の輪を作ったが、それだけでなく、哲学会とその学会誌、そして東洋大学を残したことで、現代に至るまでその輪を広げ続けているのである。(竹中 久留美)036哲学会雑誌(第1冊第1号〜第6号 合綴本) 『哲学会雑誌』は、明治20年(1887)2月創刊の哲学会発行の雑誌である。「哲学会」とは、井上円了が東京大学在学中に彼が中心となって設立した学会だ。この哲学会について円了は、まず井上哲次郎、有賀長雄、三宅雪嶺(雄二郎)、棚橋一郎らに、そして、加藤弘之*、西周、西村茂樹、外山正一**らに相談し開設したと述べている(『哲学会雑誌』第1号)。その上で、学習院に集まり設立について話し合った明治17年1月26日を哲学会の第1回とした。その際、加藤、西、中村正直、西村、外山、原坦山、島地黙雷、北畠道龍ら29名から入会の承諾を得たと円了は言う(『哲学会雑誌』第2号)。東洋大学の前身である哲学館は、この『哲学会雑誌』創刊と同年に円了によって創設された。第1回哲学会で入会の承諾を得たと名が挙げられている諸氏のうち、明六社⦿哲学会発行 ⦿明治20年(1887)2月5日〜7月5日発行⦿東洋大学井上円了研究センター蔵参考:哲学雑誌(第15巻第158号、明治33年)
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