CATALOG 井上円了
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40正七年七月四日快晴、午前九時半京城着」から始まり、「青森県第一回(旧南部)日誌」「青森県第二回(旧津軽)日誌」「伊豆長岡温泉入浴記」「福島県会津巡講日誌」「大正七年度報告」と続いて、「大正八年迎歳記」の大正8年の年明けの1月16日から22日に風邪の療養のために葉山を訪れ、そこでつくった和讃で終わっている。さらに、この原稿には朱筆で体裁の指示や推敲が施されており、出版に向けて原稿に手を入れたものと見える。第14編は最終日から3か月後、第15編は最終日から4か月半後に出版されているので、円了が無事に帰宅していれば、7月には出版されたであろう。また、他の遺稿として第17編に掲載されるはずの大正8年2月から4月に行った静岡県巡講の記録である、未完の「静岡県巡講第一回(遠江国)日誌」があり、「〔三月〕二十六日、晴れ」で記述が終わっている。(出野 尚紀)029井上円了遺稿(南船北馬集 第16編)井上円了の大学退隠後の事業のひとつに、全国巡回講演活動がある。『南船北馬集』はその活動をまとめた紀行文で明治41年(1908)12月20日発行の第1編から大正7年(1918)11月18日発行の第15編までが刊行された。例えば、第1編冒頭の「大和紀行」は明治39年4月、5月発行の『修身教会雑誌』第29号、30号に記されたものを転載したものであり、明治39年度分として『南船北馬集』第1編となった。これらのなかで円了は、その講演旅行を再現することができるほどの詳細さで、交通機関、講演場所、宿泊場所、面会人などを漏らさずに記し、訪問地で採取したフォークロアや感想を綴っている。そのため、明治末から大正にかけての日本各地の習俗を知ることのできる重要な資料と言える。この第16編は400字詰め原稿用紙に記された大正7年後半の巡講記録で、「朝鮮巡講第三回(北鮮)日誌」中の「大⦿井上円了筆 ⦿大正8年(1919) ⦿東洋大学井上円了研究センター蔵

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