CATALOG 井上円了
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絶対城一階内部『哲学堂図書目録』一〜十    (手稿、大正時代)絶対城正面外観37たことがわかる。この事業は文化的側面をもつものが多かったが、そのひとつとして実施されたのが図書館設置である。たとえば、大正4年5月に山口県下関市が図書館を設置している(『朝日新聞』、1915年5月15日)。さらに、公立図書館だけでなく、横浜市綱島村(現横浜市港北区)の有力者であった飯田家においても地域住民が利用する私設の図書室建設計画が持ち上がっていた(神奈川県立公文書館寄託「飯田家文書」)。天皇即位礼を契機に「官民あげた図書館設立ブーム」が巻き起こった理由は、必ずしも明らかではない。現時点での展望を述べておけば、この時期「教養」を身につけることにより自己の生活を新たな段階に引きあげたいという「自己上昇」の動きが、都市部·農村部を問わず盛んになっていた。図書館設置は、こうしたニーズに対応するものであったと考えられる。円了が建設した絶対城も御大典記念をめぐる社会的動向のなかで捉え直すこともできよう。絶対城とその目録·蔵書類は、近代図書館の歴史を語るうえでも重要なものである。(中村 崇高)026絶対城(御大典紀念図書館)井上円了が哲学堂を「精神修養ノ公園」と位置づけ、明治の終わりから大正期にかけて宇宙館(講義室)などを次々に建設していったことはよく知られている。さらに大正4年(1915)、哲学堂内に「図書館ヲ併置スルノ必要ヲ感シ、一昨年来工事ニ着手シ、御大典紀念事業トナサント欲シ」建設したのが絶対城である。円了にとっての絶対城は、大正天皇即位の記念事業の一環であった(井上円了編『哲学堂図書館図書目録』、哲学堂、1916年、緒言p.1)。絶対城に収蔵されていた21,000冊あまりの蔵書類の歴史的·文化的価値の高さは、いまさら論をまたない。右上の写真は、『哲学堂図書目録』と題した目録の手稿である。これほど大量の蔵書を分類·整理し、利用に供することは、現在でもなお困難な作業であり、特筆すべきものといえよう。しかし、注目したいのは、蔵書の資料的価値というよりは、円了がなぜ御大典記念として図書館を設置しようとしたのかである。当時の新聞をみると、大正4年の天皇即位礼前後に、官民あげて「御大典紀念」と銘打った各種事業が行われてい⦿木造2階 ⦿山尾新三郎(設計) ⦿大正4年(1915)11月竣工⦿中野区立哲学堂公園内

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