CATALOG 井上円了
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30「三次街頭瓦屋連 長堤路上客楼懸 清流日夜悠然去 遙入石州為巨川」(左隻三扇)三次は、古くから山陽と山陰を繋ぐ街道の宿場町として栄えた地で、町の西側を流れる巨川(江の川)は日本海に注いでいる。また、三次は怪談「稲いのうぶっかいろく生物怪録」の舞台となった地である。円了は妖怪と縁の深い地を訪ね、その風景に感嘆し、上記の漢詩を詠んだ。三次を出た円了は南下し、尾道を経て5月15日に広島県を去った。円了は、行く先々で「よぅ来んさった」と地元の歓迎を受け、講演や歓談に励んだ。その合間に見える景色はとても素晴らしく心地のよいものであり、何度も広島弁をまねて「ぶちええのぅ」と感嘆したはずである。円了は、その風景や素直な気持ちを漢詩に詠んだ。本資料には、そんな円了の素直な気持ちが表れている。また本資料を読むと、円了の巡講の行程をなぞることができる。本資料は、まさに地誌·観光案内も兼ねたような資料である。資料を読んでいると、気づけば広島県に行きたくなっているのではないだろうか?(重藤 智彬)020備後国巡講中作本資料は、井上円了が第1回広島県巡講を行なった際に道中の情景を詠んだ漢詩を屏風に仕立てたものである。漢詩は十二首あり、全て七言絶句である。第1回広島県巡講は、大正2年(1913)3月14日から5月15日にかけて行われ、福山·比ひば婆郡·三みよし次·甲こうぬ奴郡·世羅郡といった旧備後国(広島県東部・北部〔備北〕)を巡講した。この巡講は、『南船北馬集』第8編に記録されている。3月14日に兵庫県北条町(現加西市)から汽車で福山に入った円了は、翌日景勝地である鞆ともの浦に宿をとった。その景色に感動した円了は、次のような漢詩を詠んだ。「鞆湾風月絶塵埃 明媚自凌厳島来 天欲使人養仙寿 備山尽所築蓬莱」(右隻一扇)円了は、「鞆の浦の美しさは日本三景の厳島を凌ぐほどで、天は備後の山が途切れる場所に蓬莱を作った」と、その景観の美しさを讃えた。円了は鞆から瀬戸内海の島々を巡講し、3月21日に福山に戻った。この時車窓から眺めた福山城を漢詩に詠んでいる。(本資料右隻三扇および『南船北馬集』第8編)。そして福山から北上し、中国山地の山間の比婆郡を巡講し、4月24日には三次に宿をとった。⦿紙本墨書、屏風(六曲一双) ⦿ 井上円了書 ⦿大正2年(1913)⦿東洋大学井上円了研究センター蔵

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