CATALOG 井上円了
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【漢詩】[印]日域由来三道分 真如一貫是斯文従今富士峰頭月 照破泰西洋上雲 録題哲學館大學部開設旨趣之詩  井上甫水道人[印]【書き下し】日域は由来、三道分かるるも、真如の一貫するは是れ斯文なり。今より富士峰頭の月、泰西洋上の雲を照破す。26第1回目の欧米視察から帰国した円了は、明治22年(1889)7月以降、哲学館改良についての趣旨文を相次いで発表する。欧米諸国では自国の文化を守り生かすような学問·教育がなされていること、その上で東洋学が盛んに研究され始めていることに衝撃を受けた円了は、哲学館を大学とするにあたって伝統的な東洋学の研究·教育、そして徳育を重視するという方針を打ち出したのである。この漢詩はそれを主題として作られたという。「三道」とは、日本(「日域」)に伝えられてきた儒道·仏道·神道のことである。「斯文」は孔子のことばに由来し(『論語』子罕第九)、通常は儒道を指すが、ここでは三道いずれにも同じ真理が一貫しているとする立場から、仏道·神道も含めて日本人が守り伝えるべき「斯文(この学問)」と呼んでいるらしい。三道の区別とその究極における一致は、山頂とそこに到る複数の登山道の譬喩で説かれることが多く、「月」は仏教において「真如」の譬喩に用いられてきた。つまり、新たに「東洋哲学」として捉え直された三道を哲学館が守り究めることで、その真理の光が西洋にまで及び彼らの迷妄を払うのだという、いわば来たるべき東洋からの啓蒙(Enlightenment)の意気込みを語っているのである。この「斯文」を含む承句は、井上哲次郎(1856-1944)の添削を受けたものであるという(『円了茶話』「第42話 詩を知らず」)。円了と哲次郎の付き合いは長く、東京大学において、円了は助教授であった哲次郎から「史学」と「東洋哲学」を学んだ。哲学会の立ち上げにも哲次郎は協力し、以後、円了が何か事業を始める時、必ずといってよいほど哲次郎が名を連ね、あるいは祝辞を寄せており、円了没後の東洋大学においても長く教員·役員を務めた。時には学問上の意見が対立して論難し合う一幕もあったが、晩年の哲次郎は「自分の理想が哲学館創立という形で円了によって実現されたように思える」といった回顧を語っている(昭和4年、大学昇格祝賀式の祝辞)。教員と学生として出会い、歳の近い哲学者·教育者として競い合って、官と民という立場の違いはありつつ、しかし理想を一部共有する同志でもあった。円了の随筆にはしばしば哲次郎を揶揄する内容も見られ、お互い少なからず意識し合いながら、付かず離れず同時代を歩んだことが想像される。(井関 大介)016哲学館大学開設旨趣之詩⦿紙本墨書、掛幅 ⦿井上円了書  ⦿明治35年(1902) ⦿東洋大学井上円了研究センター蔵

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