22は、自らを祝うかわりに、東洋大学や真宗大谷大学(現大谷大学)、哲学会、長岡中学校(旧新潟学校第一分校)など、自分にゆかりのある機関·団体に寄付金を贈ることにした。孔子祭典会(後に財団法人斯文会と合併)は、湯島聖堂で江戸時代に行なわれていた釈せきてん奠(孔子祭)を再興することを目的に、東京高等師範学校の教員らが中心となり設立した会で、校長の嘉納が委員長をつとめていた。円了も嘉納たちの活動に賛同して会の発起人に加わり、評議員もつとめたため、同会に寄付を行なったのである。嘉納の回顧談によれば、円了とは友人、仲間といえるほど親しい関係ではなかったようだが(三輪政一編『井上円了先生』、東洋大学校友会、1919年、pp.83-84) 、同時代の学者·教育者として互いが認め合い、それぞれの事業に協力しあう間柄だったのであろう。(北田 建二)013井上円了宛 嘉納治五郎書簡(寄付金礼状)講道館柔道の創始者、嘉納治五郎(1860-1938)は、東京大学を卒業した後、学習院教頭などを経て、東京高等師範学校(現筑波大学)校長をつとめた教育家でもある。嘉納と井上円了との出会いは、明治10年代にさかのぼる。明治14年(1881) 、円了は嘉納が卒業するのと入れ替わりで東京大学文学部に入学するが、嘉納も引き続き選科生として東大に残り、1年間、哲学(道義学·審美学)を学んだ。その後、明治17年に円了が東大の教員·学友らと哲学会を創設した際には、嘉納も会員として加わった。こうしたつながりからであろう、哲学館の創立時には、講師として棚橋一郎(1862-1942)とともに倫理学を講じた。本資料は、大正7年(1918) 、円了が孔子祭典会に行なった寄付に対する嘉納からの礼状である。還暦を迎えた円了⦿嘉納治五郎筆 ⦿大正7年(1918)4月27日⦿東洋大学井上円了研究センター蔵
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