CATALOG 井上円了
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20特徴を、円了は強く意識していた。その証拠の一つは、円了が自ら設計した自身の墓である。「井」の字にかたどった石の「上」に「円了」を象徴する「○」形のディスクが置いてある。もともと「絵文字」、または「象形文字」であった漢字は「文字其物に美術的趣味を有する」(同p.38)と、その美術的価値をも高く評価していた円了は、自身の漢字論を後半生の傑作である哲学堂公園の設計にも活かしている。字形と観念が切り離せないことを示すため、日本の伝統的な造園のモチーフである「心字池」と対になるように、「物」字形にかたどった「物字壇」も作ったのである。それらが位置する「唯心園」と「唯物園」のコンテクストでは、「心」の字がいわゆる精神の意味を持つ。また、「心」がもともと心臓の象形に由来する文字であることも、円了は当然知っていたはずである。現在は中野区立歴史民俗資料館に保存されているが、四聖堂の床の中心に立てられている唱念塔の前に、かつては「♡」形の木012心字木魚明治時代の国字改良論争において、井上円了は漢字文化を弁護する学者を代表する一人であった。円了は「言語文字は直接に人の精神思想に関連」(『漢字不可廃論』、四聖堂、1900年、p.28)するものであるという信念を持ち、「語声のみで我々の精神界に保たれ居るでなく、其文字の形と共に、脳中に印象して存するものである」(同p.30)と主張する。それゆえ、もし漢字を廃止すれば、日本が 「暗黒時代」になってしまうというほどの文化的損失が生じると警告するのである。また、「文字の研究に就ては、世界中に漢字程面白きものはなかろう」(同p.37)と、漢字の利点や文化としての特殊性を多角的に論じ、学習が困難で教育普及の妨げになるという漢字排斥論者の説得力ある懸念に対しても、漢字を教える方法の調査や改良を求め、自身でも様々にユニークな発案をしている。上述のように、「我々の一念一思、皆其字形と連帯して我胸中に留まるものである」(同p.43)という漢字文化圏の⦿木⦿山﨑記念中野区立歴史民俗資料館蔵手前のハート型の木製品が「心字木魚」。奥の石柱は四聖堂の「本尊」として安置された「唱念塔」で、その柱部分には「南無絶対無限尊」が、土台部分の各面には四聖を表わす「孔」「釈」「瑣」「韓」の4字が彫られている。

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