14誌』第6号の附録として、円了によって印刷されたこの資料は2点の特徴をもっている。第1点は、「哲学館開設ノ旨趣」の全文が掲載されている。この文章を①と③で比較検討したところ、完全に一致していることがわかった。のみならず、それについで賛成者17名の肩書と氏名が明らかにされ、さらに学科表を含む「哲学館規則」が記されていることである。これらの内容から考えて、この資料は哲学館開設の正式な予告文書の一つと判断される。第2点は、資料の右端に、小さく書かれている二つの文章である。そのうちの一つは創立寄付金の募集に関するものである。哲学館は円了が個人で創立した学校であるが、その経費については明治22年11月13日の「私立哲学館移転式」における館主井上円了の演説で、「之〔哲学館〕ヲ創立セシトキニハ固ヨリ無資本ニシテ他ヨリ毫モ扶助保護ヲ受ケタルコトナク全ク有志ノ一時ノ寄付ニヨリテ創立費ヲ支弁シ……哲学館ハ二百八十人ヨリテ設立シタルモノ」と述べていた。ところが、その寄付を募集した文書はこれまで未見であった。北田氏の発見したこの文書によって、円了が多くの人々に寄付を呼びかけていたことが判明したのである。(三浦 節夫) 006哲学館開設ノ旨趣(哲学会雑誌 第6号 付録)私立学校「哲学館」の創立を決意した井上円了は、明治20年(1887)に新聞·雑誌に文章を発表して、世に告知している。これまで集まった資料を月日の順に紹介しておこう。① 哲学館の開設を最初に知らせたのは、明治20年6月28日の仏教系新聞『明教新誌』である。同紙の「新誌」の欄に「〇哲学館 文学士井上円了君は世の大学課程を経過するの余資なき者並に原書に通する優暇なき者の為に……」に始まる記事で、修学の年限や主な科目、入学金、月謝、連絡事務所、賛同者名を述べ、最後に「哲学館開設の旨趣」の全文が掲載されている。② 7月5日の『哲学会雑誌』第6号には「哲学専修 哲学館開設広告」が本館設立者井上円了の名で出されているが、これは「開設ノ旨趣」の後段と入学申込の文章で構成されたものである。③ 9月5日の仏教系雑誌『教学論集』第45編は、「哲学館開設旨趣」のみが掲載されている。このようにみると、東洋大学の正史にあたる『東洋大学百年史 資料編I·上』(pp.83-84)は、③を収録しているが、これは開設予告の全文ではないという問題があった。ここで紹介する資料は、近年において井上円了記念博物館の北田建二学芸員が発見したものである。『哲学会雑⦿井上円了著、哲学会事務所発行 ⦿明治 20年(1887)7月5日発行⦿北田建二蔵
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