CATALOG 井上円了
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12皮も「かわ」というように、同音異義語のことであり、字形とは、音楽の「楽」と歓楽の「楽」は同じ字のため、意味が判別し難くなることである。また連想とは、サイレンを聞いて火事を連想するように、日常に近いものから起こされる付近連想と、舞い落ちる枯葉を見て人生の無常を思うように、性質の類似から喚起される類同連想のふたつがある。そしてさらに、この類同連想は、正直者を「仏」と呼び、狡猾な人間を「狐」と呼ぶような性質の類似したもの、悪寒と「風」のように性質と様子が類似したもの、また美人のことを「卵に目鼻」と呼ぶような、形態が類似したものに分かれる。このように本書からは日常卑近の言葉遣いに関する円了の犀利な観察眼をうかがうことができる。ただ、「巻壱」と記されているにもかかわらず、ついに続編は書かれることがなかった。本書から円了の書かれざる論理学について考えてみることも、興趣があることかもしれない。 (甲田 烈)004哲学道中記井上円了の「跋」によれば、本書は脱稿時に経済学者として知られる土子金四郎(1864-1917)と、人類学者の坪井正五郎(1863-1913)にチェックを受け、より内容を充実させたものである。発行元の哲学書院は、明治19年 (1886)の秋、円了が東京大学在学時代に設立した「哲学会」の同志である棚橋一郎(1863-1942)と相談し、哲学書の普及を中心とした出版社の設立を計画したもので、その翌年の1月に設立された。『哲学会雑誌』がここから創刊されたほか、13年間にわたり活動の拠点のひとつとなった。本書は5編全53段からなり、論理学は哲学界の関門であり、哲学道中のふり出しと捉える観点から、「一字にして多義を含み一言にして其意味判然せざるもの」としての「汎意(ambiguity)」 (井上円了『哲学道中記』、哲学書院、1887年、p.10)を主要テーマとする。円了によれば、汎意は語音から生ずるもの·字形より生ずるもの·連想より生ずるものの3種に大別される。語音とは、たとえば流れる川も獣の⦿井上円了著、哲学書院発行  ⦿明治20年(1887)6月初版発行 ⦿東洋大学附属図書館蔵

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