CATALOG 井上円了
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11哲学館の三恩人のひとり、加藤弘之(1836-1916)と同じく、明六社を経て東京大学で教授をつとめた中村正直(1832-1891)は、明治初期に西洋思想·精神の紹介者として、若者たちに大きな影響を与えた。井上円了もその影響を受けたひとりで、長岡の洋学校(新潟学校第一分校)在学中には、中村の訳著『西国立志編』を読んでいる。東京大学文学部哲学科に入学した後、円了は中村が担当していた漢文学(易論)の講義を聴講しているが、マンツーマンで行われたこの講義を通して、ふたりの交流は「普通の師弟の関係以上に親密」なものになったという(井上円了「理想の円了」、『東洋哲学』第13編4号、1906年、pp.291-292) 。円了が中村との交流を重ねるなか、ある日、中村の自宅を訪れた際、「円了」の意味を尋ねられたことがあった。これに対し、「円満万徳、了達諸法」(円は「万徳を円満す」、了は「諸法を了達す」を表す)と答えたところ、中村はこの言葉を気に入り、その場で書を揮毫して円了にプレゼントしたという(『東洋哲学』第13編4号、pp.291-292、および井上円了「円了随筆」、『井上円了選集』第24巻、東洋大学、2004年、p.76) 。本作は、このとき制作された書で、円了が長らく大切に保管してきたものである。円了にとっては、自分の名の由来(実はその場のアドリブで自ら考案したもの)を記したものであるとともに、「名前の如く正直で今聖人」(『東洋哲学』第13編4号、p.291)と語るほどに敬愛した中村との思い出のよすがとなる大切なものだったのである。(北田 建二)003円満万徳了達諸法⦿紙本墨書、掛幅 ⦿中村正直書 ⦿明治10年代か⦿東洋大学井上円了研究センター蔵

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