東洋大学史ブックレット13
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学長提案により、校地選定を根本的にみなおすことになりました。五八年四月に理事長は新校地移転を断念し、三校地の有効利用をはかる新方針を提案します。新学長はこの方針をうけて、三校地を有効利用するにあたり、白山五学部の一・二年次を朝霞で授業するためには、単に白山校地の過密を解消するとか、文部省との確約を履行するといった消極的な動機だけでは不充分であり、この移行は教育の質的向上をはかり、それが総合大学たる本学の発展に積極的に資するものでなければならないとしました。そのうえで校地と教育の問題は、緊急の課題として深められていきました。昭和六二年に迎える創立一〇〇周年を、東洋大学の第二世紀への出発点とするためです。六三年九月に白山再開発のために、設計者の選定がおこなわれました。平成二年に理事長は伝統の堅持と歴史の創造として、①完全な総合大学への脱皮が絶対に必要であること、②創立者井上円了先生の精神を尊重すること、を強調しました。三月に都市型大学としての再生をめざし、白山校地の再開発に着手しま  東洋大学の歴史 ―戦後編Ⅰ―36

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