一一月と一二月に大学側と学生側とのあいだで、朝霞移転をめぐる大衆団交がくりかえされ、平行線をたどることになりました。四八年一月に学生側は連名で学長と理事長に、学費値上げと朝霞移転の白紙撤回を求め、二号館前で七時間余り会見をおこない、理事長を拘束しました。大学側は学費を現行のままとし、朝霞校舎の建設を推進すると表明しました。一月二三日に一部の学生が事務室へ乱入し、校舎と正門にバリケードを築いたために、大学側は全学休講の措置をとって機動隊を導入しました。機動隊との衝突で検挙者一名と負傷者がでました。大学側は学年末試験をレポート方式に変更し、二月末から三月中旬までロックアウトにより、紛争の再発をくいとめようとしました。朝霞移転問題の対立はこののちもつづき、四九年四月に大学側はようやく白山校舎のロックアウトを解除しました。五〇年七月に「私立学校振興助成法」が制定され、この助成を受けるためには、経営学部設置以来の課題である、白山校地の過密を解消する必要があり、五一年一月に東洋大学の歴史 ―戦後編Ⅰ― 30
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