【東洋大学の紛争】東洋大学における紛争は、四二(一九六七)年から五二(一九七七) ①川越移行問題 を、一一月に経済同友会が、「大学の基本問題」を発表しました。四四年一月に東京大学の安田講堂が学生に封鎖されると、機動隊を導入してこれを解除しました。二月に日経連が、「直面する大学問題に関する基本理解」を発表しました。八月に「大学の運営に関する臨時措置法」(「大学立法」)が成立しました。九月に日経連が、「教育の基本問題に対する提言」と「教育の基本問題に対する産業界の見解」を発表し、大学紛争を批判しました。年まで約一〇年間つづきました。学生たちはさまざまな問題をとりあげていますが、それを大きく分けると、①川越移行問題、②図書館・学生会館建設問題、③朝霞移転問題に集約されます。まず川越移行問題からみていきましょう。を文部省に申請し、同学部第一〔昼間〕部の教養課程の授業の一部を川越校舎でおこ東洋大学は昭和四〇(一九六五)年一二月に、経営学部の設置認可 三 大学紛争と東洋大学(昭和四二年~五四年)23
元のページ ../index.html#27