【国内の大学紛争和友好条約が調印され、日中間の交流が盛んとなり、一〇月に中国の鄧小平副首相が来日しました。五四年一月にイラン革命がおこり、これをきっかけに第二次石油危機がおこりました。公・私立大学を問わず、多くの大学で紛争がおこりました。その背景としては、四一年に中国で文化大革命がおこり、わが国の学生たちに影響をおよぼしたこと、また四三年五月にフランスで五月革命がおこり、ヨーロッパの大学で学生運動がたかまり、わが国にも波及したことがあげられます。さらにわが国では、七〇年安保改定をひかえ、その反対運動と連動しました。多くの私立大学では、学費の値上などをめぐって紛争がおこりました。まず三九年に慶應義塾大学、四〇年に早稲田大学などの大学へと紛争が広がり、四三年に日本大学へと紛争が拡大していきました。このようななかで、四三年四月に文部省は、初の私学白書「わが国の私立学校」】昭和四二(一九六七)年から四三年をピークに、わが国の国・東洋大学の歴史 ―戦後編Ⅰ―22
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