・(文学研究科英文学専攻)・修士課程(法学研究科私法学専攻)、四〇年四月に法学部第一部経営法部教育学科、通信教育部文学部国文学科、短期大学部第二部観光科、大学院博士課程学科、四一年四月に経営学部第一部(経営学科・商学科)、同学部第二部経営学科をあいついで開設しました。また一〇月に附属電子計算機センターを設置し、研究織を拡大して、総合大学としての体制をととのえました。このような研究・教育の組織が拡大されること、とりわけ学部・学科の設置は、狭隘な白山校地に学生数を急増させることに連動していきました。このころの東洋大学の学生数は、二八年の三〇〇〇名が、三四年には四五〇〇名となり、三八年には川越校地の工学部をふくめて一万名をこえるにいたりました。入学志願者数も四〇年に一万余名となりました。わが国における受験生の急増と学生の私立大学への集中は、①日本の高度経済成長にともない、文化の大衆化がすすみ若者たちが高学歴を求めたこと、②技術革新により技術教育をうけた卒業生を産業界が求めたこと、③とりわけ多くの学生を私教育の組東洋大学の歴史 ―戦後編Ⅰ―18
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