東洋大学史ブックレット13
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    【狭隘な白山校地】戦後の東洋大学は、狭隘な白山校地に毎年のように、文系のて、各界から集めました。三月に私立大学審議会で工学部の設置が可決され、劔木亨弘が東洋大学理事長に就任しました。三月三〇日付で、文部省から正式な認可があり、ようやく工学部機械工学科・電気工学科・応用化学科を開設することになりました。五月に川越校地で入学式が開催され、一〇月に工学部本館が完成すると、工学部開学式が実施されました。三七年四月に土木工学科・建築学科が、四〇年四月に大学院修士課程(工学研究科機械工学・電気工学・応用化学専攻)が設置されました。学部・学科を増設してきました。二五年から三一年までは前述したとおりであり、その後の状況をみていきましょう。三二(一九五七)年四月に経済学部第二部経済学科を設置します。三四年四月に文学部社会学科を分け、社会学部第一部社会学科・応用社会学科、同学部第二部社会学科に改組しました。三七年四月に経済学部第一部商学科、三九年四月に文学部第一・二 二 総合大学と東洋大学(昭和三二年~四一年)17

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