東洋大学史ブックレット13
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夫おが理事長に就任しました。三六年二月に渋沢邸にでかけた理事の竹村吉右衛門は、んのろし つし わいう劔けぎ木亨よ弘ひに依頼すること、②設置資金一億四〇〇〇万円を集めることを相談します。越校地で木造校舎三棟の起工式を実施しました。ところが、この年六月に実施された参議院議員選挙に、父子で立候補した鮎川名誉総長の子息が選挙違反で議員を辞任し、一二月にその責任をとり鮎川自身も公職からの引退を表明しました。鮎川は名誉総長を引退するにあたって東洋大学の支援者として、元大蔵大臣の渋しぶ沢さ敬け三ぞと日立製作所社長倉田主税を紹介し、一〇〇〇万円を寄付しました。三五年一月二〇日付で文部省から、工学部の設置は大学設置基準に照らして、施設が不充分という理由で許可できないとの通知があり、設置が一年延びることになりました。一二月に大嶋理事長は、工学部設置不認可の責任をとって辞任し、理事の勝か承よ開催が予定されている私立大学審議会への対策として、①新理事長を参議院議員ただちに募金にとりくみ、最終的に建設資金三億四五〇〇万円を産業界を始めとし東洋大学の歴史 ―戦後編Ⅰ―16

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