東洋大学史ブックレット13
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方で埼玉県下の土地取得に着手しました。このような理事会の動きに対し、教職員組合と専任教授連合会から反対運動がおこり、これが九月に川西正鑑理事長の辞職勧告へと発展し、一〇月に全理事が辞任しました。このとき一教授の推薦により、大嶋豊が学外から理事長に迎えられました。一一月に大嶋理事長が就任すると、ただちに専任教授連合会の八名の教授と一名の助教授に辞職を勧告しました(専教連事件)。三三年六月から理工系学部設置のとりくみが始まり、八月に理事会で埼玉県川越市への大学進出を決定し、一〇月に川越市内の土地購入が検討されました。一一月に東洋大学と川越市とで「協定書」を締結しました。一二月に一五九名の地主と東洋大学とのあいだで「不動産売買契約書」がかわされ、八万八三四〇坪の土地を取得しました。この間、大嶋理事長は理工系学部を新設するために、財界の有力者である日本中小企業政治連盟(中政連)総裁の鮎あ川か義ぎ介すけを東洋大学名誉総長に迎えます。三四年九月に東洋大学は、工学部設置の認可申請書を文部省に提出し、一〇月に川わゆ   二 総合大学と東洋大学(昭和三二年~四一年)15

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