立が激化してきたためです(冷戦構造)。いま一つは、東アジアにおける社会主義勢力が台頭したことと、東南アジアにおける独立運動が進展したためです。とくに朝鮮半島には一九四八年八月に大韓民国〔南朝鮮〕が、九月に朝鮮民主主義人民共和国〔北朝鮮〕が成立し、中国大陸には一九四九年一〇月に、中華人民共和国が成立しました。これにより東アジアにおける、わが国の位置づけが大きく変化することになりました。アメリカは自由主義陣営におけるわが国の役割を重視し、これまでの民主主義を強化し、経済力を抑制する政策をあらため、むしろ民主勢力を抑制し、経済力を強化する政策へと転換したのです。二五(一九五〇)年六月に朝鮮戦争がおこり、戦争特需〔アメリカ軍への物資とサービス需要〕の拡大により、わが国の経済がたちなおってきました。二六年九月に日本は、西側諸国とのあいだにサンフランシスコ平和条約を、同時に日米安全保障条約〔日米安保条約〕を調印し、日米関係をつよめていきました。二七年五月に皇居前広 7 一 戦後復興と東洋大学(昭和二〇年~三二年)
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