追いつけ追いこせと急激な文明開化・欧化政策をすすめ、六年一月には徴兵へ令れ(国民皆めていきました。一方、わが国の近代化をすすめるためには、国民の知識水準をたかめ人材を育成する必要から、明治政府は国民教育の普及につとめ、まず四年七月に文部省を設置します。当初はアメリカやフランスの教育制度にならい、自由主義的な教育方針をとり、五年八月に学制を公布し、初等教育のために全国各地に小学校をもうけ、六歳以上の男女を小学校にかよわせるようにしました。また、一〇年四月に高等教育のため、東京開成学校と東京医学校を統合し、東京大学を開設します。一二年九月に学制を廃止して教育令を公布しましたが、翌年にこの教育令を全面的に改定して政府の指導・監督をつよめ、学校教育の中央集権化をすすめていきました。一八年一二月に内閣制度がおかれ、森も有あ礼のが文部大臣に就任すると、一九年三月に帝国大学令を公布し、東京兵、二〇歳男子に兵役義務)を公布し、やがて殖産興業の施策とあいまって富国強兵につとりりり5 いいちよう 一 哲学館創立者井上円了(安政五年~明治二〇年)
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