(明治三二年)、専門学校令(明治三六年)、大学令(大正七年)という三つの法令をとおして、第一点は、戦前における国家と私立大学との関係です。国家がさだめる私立学校令文部省が私立学校(大学)に対し指導・監督をつよめていきました。第二点は、戦前における東洋大学の運営です。創立者井上円了の引退(明治三九年)までは、創立者を中心に広く賛助者に支えられながら運営されました。引退したのちは、ときどきの学長と教員、複数の出身財団役員により運営されましたが、ときに紛争にみまわれることになりました。第三点は、戦前における私立大学である東洋大学の特殊性です。東洋大学は哲学を中心とする文系の単科大学であり、また宗門・宗派に支えられる宗教系の大学とも異なるために、大学の規模が小さく学生数も少ない財政基盤の脆ぜい弱じやくな大学でした。第四点は、戦前における東洋大学のおかれた位置と役割です。創立者井上円了が唱導した「護国愛理」が、のちに国粋主義と国家主義に、くわえてたびかさなる対外戦 おわりに 41
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