おわりに二〇年になるとアメリカ軍は、本土の各都市に空襲をくりかし、三月一〇日に東京大空襲をおこない、四月から五月の断続的な空襲で、東洋大学の校舎も大きな被害をうけました。七月に高島学長が病気で辞任すると、第一四代学長に橋は本も増ま吉きが就任し、八月にはついに敗戦となり、混乱のなかで東洋大学は終戦を迎えることになりました。明治二〇年の哲学館創立から昭和二〇年敗戦時の東洋大学まで約六〇年のあゆみを、日本近代の潮流とかさねてみてくると、およそ四つのことがうかびあがります。東洋大学の歴史 ―戦前編― しちとす40
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