東洋大学史ブックレット12
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りようよう いいん 【  昇格運動の停滞高野山大学・大正大学などが昇格をはたしていきました。なお、大学令による東洋大学の昇格は、後述するように昭和三年に実現されます。趣意書」を発表し、東洋大学の新構想として、大学部に国学科・漢学科・仏学科をおくことをめざして募金活動にとりくみます。この年に東洋大学名誉学長で創立者の井上円了は、六月五日に中国東北部の大連(現・遼寧ね省し大だ連れ市し)で講演中にたおれ、翌六日に客死(享年六一歳)し、六月二二日に境野学長のもとで、東洋大学葬がおこなわれました。創立者亡きあとの東洋大学は境野学長らを中心として、大学令による大学の昇格をめざします(第一次大学昇格運動)。この年六月に境野学長は財団法人私立東洋大学の寄附行為を改正し、財団の商議員(一四名)を維持員(二〇名)とあらため、従来学内の教職員のみで構成されていた維持員に、学外の卒業生(出身者)をくわえました(『東洋大学百】大正八(一九一九)年一月に境野学長は、「東洋大学基本金募集東洋大学の歴史 ―戦前編―32

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